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 学校儀礼について①

 厳かな雰囲気がただよう日本の学校儀礼について。


げんしゅく【厳粛】

①おごそかで、心が引きしまるさま。厳格で静粛なこと。「式は—に執り行われた」「—な雰囲気」
②それを真剣に受け取らなければならないさま。厳として動かしがたいこと。「—に受けとめる」「—な事実」
出典:『広辞苑』第七版より


学校儀礼のもつ機能

学校儀礼とは、あるときは挨拶のような小さな形で、またあるときは大がかりな儀式の形をとって、日常とは異なる特別な時空間をつむぎだそうとする学校成員の大小の努力のたまものであり、それが実践・実現されるとき、何らかの効果が生みだされるものである。では学校儀礼の効果とは何だろうか。男女別、年齢・学年別、学校別に分化・統合させるなど離合集散の効果を持つ儀礼は学校の中に多くある(バーンスティン訳書1977=1985:66-68)。また入学試験は現代における代表的な通過儀礼の一つである。これは合格者と不合格者を明白に分化させる効果をもつ儀礼に他ならないが、ことのほかその学校の成員であるという自覚を強めるという隠れた効果も導くものである。このような様々な効果をここで要約するなら、学校儀礼とは、成員の思考と行動をある特定の方向へと導くことで、学校の中に社会秩序をつくりだす、またはその秩序を強化するものである。そして逆に、各学校の儀礼のあり方いかんは既存の社会秩序を反映する側面をもつものと考えるのもよいだろう。試しにその学校の儀礼的な行動をつぶさに観察すれば、どのような校風を持つ学校なのかをうかがい知ることができるはずである。

例えば伝統校の入学式では──新入生には入念なリハーサルの機会はないはずなのだが、にもかかわらず──キビキビとした入場行進、着席、起立、立礼などの動作が実現される。一方、1980年代における全国各地いたるところで荒れた学校の卒業式では、儀式の進行に従順ではない生徒たちの姿を見つけるのが珍しい時代ではなかった。近年も続いている「荒れる成人式」はこれと位相を同じくする現象であろう。学校側は儀礼を通じてある種の秩序を実現したいところなのだが、秩序化の方向性が若者たちの志向と合致することもあれば大きくズレることもありうる、それがまた学校儀礼にも反映する、という相互の影響関係があるというわけである。

日本の学校で執り行われる儀式については多くの議論・争点がある。以下、学校儀式について私なりの調べと、私なりの考えを述べていきたい。


日本の儀式風景

ここでは学校に特有の儀礼──中でも日本の学校で儀式的行事と呼ばれているものに焦点をあてていく。おそらく多くの人びとにとって学校儀式はなじみの深いものである。入学式、卒業式、始業・終業・修業式、学校の創立記念式、各種表彰式、などなどが想起される。どれも日本の学校体験の中で延々とくり広げられてきた光景である。

ちなみに卒業式の式次第はおおむね次のような箇条書きのスタイルが一般的であるとされる。多くの人はこれをみただけで式場の雰囲気や流れをすぐにイメージすることができるだろう。


一、卒業生入場

二、開式の言葉

三、国歌斉唱

四、卒業証書授与

五、校長式辞

六、教育委員会告示

七、来賓祝辞

八、記念品授受

九、送辞

十、答辞

十一、卒業式の歌

十二、校歌斉唱

十三、閉式の言葉

十四、卒業生退場

出典:Yahoo! JAPAN 知恵袋より


厳粛な雰囲気こそ第一、訓話の内容は第二

明治の末ごろまで時間をさかのぼってみよう。日本の学校儀式は厳粛を旨とし、各地の学校では長きにわたってそのように営まれてきた。これについて相島亀三郎氏(1910:71)は次のように述べている。


 學校の訓話は、幼年生にはよく分らずとも、儀式の教育的價値は、發揮し得られないものではないと思ふのである。即ち、儀式の價値は、概ね、外形に現れた荘嚴なる形式に依て發揮し得らるゝものであるから、幼年生は、縱令、訓話の大部分が分らぬとしても、其の式場の荘嚴、會衆の謹愼靜粛、學校長の謹嚴なる態度等に依て、外形より感情を刺戟せらるゝことが多大であるからである。 是に依て考へて見ると、訓話は、儀式擧行については、第二位にあるもので、第一位にあるものは、 儀式そのものゝやり方、即ち、外形に現はるゝ部分であると思ふ。


このように相島氏は、日本の学校儀式に言語を超越した何らかの効果が備わっていることを強調する。彼にとって厳粛な学校儀式の「外形」がもたらす力は、訓話の内容を二の次と考えて差し支えなしとまで主張するほど大きなものだったのである。しかしこれでは学校儀式の意味はいったいどこにあるのかを問われることになるだろう。

W.ウォーラーは、学校儀式には「情緒的な意味はあるが、理知的な意味は全然ない」(ウォーラー訳書1932=1957:159)という基本性質があると述べている。そしてB.バーンスティンもまた「儀礼の主要な意味は、言語的には明白に示しえないものである」と指摘している(バーンスティン訳書1977=1985:73)。要は理屈ではないのだ。このようにみると相島氏のような儀式の持つ雰囲気を重視した主張がなされることもうなずけるところがある。また、容易に理解し難い訓話を述べる局面が存在することは無効果を意味するのではなく、それ自体が呪文のように学校儀式の厳粛性を高める働きを生み出すものであったと考えられる。

しかしそれにしても日本の学校儀式は他国と比べかなり画一的で厳かな性格が強いように思われる。試しに「世界の卒業式」というキーワードによるGoogle検索の結果をみていただきたい。


 こちらをクリック

日本と違いすぎ!? 海外の学校の代表的な卒業式はこんな感じ!


 日本では卒業式というと、雰囲気は厳粛、そして今まで過ごしてきた学校や仲間たちと別れる日という、しんみりとした寂しいイメージがありますね。

 しかし、イギリスやアメリカなどの欧米では、そう〔いう〕ものではなく、卒業は今まで自分たちが学業を頑張ってきた成果となる日、つまり明るくハッピーなもの、というイメージが強いようです。

 動画で話題となったアメリカの卒業式も、そうした感覚ならではの一体感だったのでしょうね。

 もちろん、卒業式が今までの成果ということは、ちょっと忘れがちですが日本でも同じ。

 卒業生の皆さんにとって、卒業式が素晴らしいものになりますように!


出典:マイナビ 学生の窓口より

思わずハッとさせられる文章である。卒業式は本来今までがんばってきたことの成果となる日、しかし日本ではそれを忘れがち……言われてみれば、確かにそういう趣旨でもって卒業式の運用を考えても決しておかしくはないはずだ。しかし伝統の重みのせいか儀式を教育的に意義あるものにすべく試行錯誤するような発想や取り組みは少ないのが現実であろう。ともあれこの指摘には重要な意味があるように思えるので、後でもう一度とりあげることにしよう。


 日本の学校儀式はどのように厳粛化されたのか。


さらにもう少し時間をさかのぼって、日本の学校儀式が現在の形をとるに至った背景を考えてみたい。きっかけは1890年代の一連のできごと、すなわち教育に関する勅語(以下教育勅語)、御真影(明治天皇と皇后の写真:当初は一部の学校のみ)が各学校に交付され、それらの学校儀式での取り扱い方を定めた小学校祝日大祭日儀式規程(以下儀式規程)が制定されたことにある。

以下はこれらについてやや細かい話が続くが、私が述べたいことを先取りすると、かなり難解で、しかも生徒に疑念を差し挟む余地を与えないような権威主義的な要素が、日本各地の学校儀式に一斉に組み込まれていった、という事実である。


教育勅語

教育勅語の原本はこちら(国立公文書館デジタルアーカイブ)、活字本の写真はこちら(ウィキメディア・コモンズ)をクリックするとみることができる。原文の記述はかなりわかりにくいので、ここでは文部省による教育勅語原文の「通釈」、同じく原文の「語句釈義」の方をみていこう。

教育に關する勅語の全文通釋


朕がおもふに、我が御祖先の方々が國をお肇めになつたことは極めて廣遠であり、德をお立てになつたことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、國中のすべての者が皆心を一つにして代々美風をつくりあげて來た。これは我が國柄の精髓であつて、教育の基づくところもまた實にこゝにある。汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合ひ、朋友互に信義を以て交り、へりくだつて氣隋氣儘の振舞をせず、人々に對して慈愛を及すやうにし、學問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有爲の人物となり、進んで公共の利益を廣め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、萬一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇氣をふるひ一身を捧げて皇室國家の爲につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなきあまつひつぎの御榮をたすけ奉れ。かやうにすることは、たゞ朕に對して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなほさず、汝らの祖先ののこした美風をはつきりあらはすことになる。

こゝに示した道は、實に我が御祖先のおのこしになつた御訓であつて、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがひ守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違がなく、又我が國はもとより外國でとり用ひても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守つて、皆この道を體得実践することを切に望む。


勅語の語句釋義


 天皇の御自稱である。

皇祖皇宗 天皇の御先祖の方々。

 創開の義。

宏遠 宏は廣大、遠は遠大である。

 立である。

億兆 衆多の臣民を指す。

 其である。

 戍である。

「此レ」 「皇祖皇宗」以下「世々厥ノ美ヲ濟セルハ」までを指す。

國體 國柄の義。

精華 精髓に同じく純且美なる實質をいふ。

淵源 基づく所の義。

恭儉 恭はつゝしむこと、儉は心をひきしめること。

「持シ」 執り守る義。

「及ホシ」 近より遠にひろめる義である。

「智能ヲ啓發シ」 知識才能を進めること。

「德器ヲ成就シ」 德ある有爲の人となること。

世務 世上有用の業務である。

國憲 國の根本法の義。

國法 廣く國の法令を指す。

緩急 危急變亂をいふ。

義勇 義にかなつた勇氣。

「公ニ奉シ」 皇室國家の爲に盡くすことである。

天壌無窮 天地と共に窮りない義。

「皇運ヲ扶翼ス」 寳祚の御榮を輔け奉ることである。

顯彰 あらはすこと。

「斯ノ道」 前節を通じてお示しになつた皇國の道であつて、直接には「父母ニ孝ニ」以下「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」までを指す。

子孫 皇祖皇宗の御子孫である。

古今 過去及び現在である。

中外 我が國及び外國である。

 逆である。

拳々服膺 拳々は捧持の貌、服膺とは胸に着ける義である。拳々服膺とは、兩手で物を大切に持つて胸に着けるやうに遵守するをいふ。

 皆である。

「其德ヲ一ニセン」 この道を體得して同じく身につけようとの意である。

庶幾フ 冀ひ望むの義。


(文部省1940:7-11)

教育勅語は字数にして315字の短い文章である。それなのに35ヶ所に及ぶ多くの注釈がつけられ、その前の通釈の字数も元の2倍近くにふくれあがっている。これらが掲載されたのは1940(昭和15)年に出された文部省で㊙扱い(当時)の文書である。そこには、教育勅語の意味内容を正確に伝えようとする当局者の意図が読み取れるものの、この注釈じたいもかなり難解なものであると言わざるをえない。


唱歌・勅語奉答


教育勅語朗読のあとに歌うとされた勅語奉答というものがあった。こちらもかなり生徒には難しいものだったようで、「小學校教材として、最も難澁なるものなることは、殆んど、これ天下の輿論に有之」とも言われた(石塚・田村1936)。有本真紀氏の研究の中では、「なにせ、「畏き」「尊き」「尊く」と同じような言葉が出てきて、しかも似通った節が繰り返されるので、低学年の児童には歌いにくい歌でした。高学年でも自信をもって歌える者は多くなかったと思います。〔中略〕意味などは関係なく、とにかく歌えればそれで良かったのです。」という回想が紹介されている(有本2017:50)。

勅語奉答がどんな曲なのかについて関心のある方は以下のYouTubeの動画をご覧いただきたい。



勅語奉答


あやにかしこき すめらぎの

あやにたふとき すめらぎの

あやにたふとく かしこくも

下したまへり 大みこと

これぞめでたき 日の本の

国の教えの もとゐなる

これぞめでたき 日の本の

人の教えの かがみなる

あやにかしこき すめらぎの

みことのままに いそしみて

あやにたふとき すめらぎの

大御心に 答へまつらむ



小学校祝日大祭日儀式規程

第1条 紀元節、天長節、元始祭、神嘗祭および新嘗祭の日においては、学校長、教員、生徒は式場に集まり次の儀式をおこなうこと。

 学校長、教員、生徒は、御真影に対し最敬礼をおこない、なおかつ万歳をもって祝うこと。ただしまだ御真影をいただいていない学校についてはこれを省く。

 学校長または教員は教育勅語を謹んで読むこと。

 学校長または教員は、恭しく教育勅語に基づき天皇の意志について教え諭し、または歴代天皇の徳・大なる事業を述べ、もしくは祝祭日の由来について説明するなど、その祝祭日にふさわしい演説をなし、忠君愛国の意気込みを養うことに務めること。

 学校長、教員、生徒はその祝祭日にふさわしい唱歌を歌うこと。


儀式の中でとるべきとされた行為である赤字の部分を抜き出して流れをみてみよう。


最敬礼  万歳  教育勅語朗読  演説  唱歌

かなり堅苦しく、緊張感に満ちた展開だと感じる。学校で営まれた固有の日常的文脈が入り込む余地は全くないといってよい。皇室にちなんだ祝祭日の儀式であるとはいえ、かくまで近寄りがたい形で皇室文化を組み込ませ、教員・生徒らに独特の表敬動作を実践させねばならない、などと考えたのは何故だろうか? 重要な論点だと思うが、ここではただちに回答する準備がない。

最敬礼や万歳は、単に式場に写真を設置するのみの場合とは違って、その行為の結果として理屈抜きに明治天皇・皇后の像を別格のものとして聖化された位置に一気におしあげることになる。その後の教育勅語の朗読や演説は、明治天皇の意志を代弁する/皇室の偉業功績を讃える/祝祭日の意義を説明する、などという形をとるが、その避けがたい難解さもあって否応なく一方向のコミュニケーションの時間が続く。唱歌斉唱は、最敬礼や直立不動の姿勢、また一方的に謹聴の態度をとらねばならない時間が長く続く儀式の過程にあって、生徒たちにとっては幾分か発散のときを得るものであったようにもみえてくる。

次の表1にみるとおり、儀式規程では10件の祝祭日儀式にどういう要素を組み込むかが定められている。


表1 儀式規程において示された祝祭日と儀式内容の一覧
No.月日儀式内容
11月1日四方拝御真影への最敬礼・万歳、唱歌
21月3日元始祭御真影へ最敬礼・万歳、教育勅語朗読、
誨告演説、唱歌
31月30日孝明天皇祭誨告演説、唱歌
42月11日紀元節御真影へ最敬礼・万歳、教育勅語朗読、
誨告演説、唱歌
53月21日春季皇霊祭誨告演説、唱歌
64月3日神武天皇祭誨告演説、唱歌
79月23日秋季皇霊祭誨告演説、唱歌
810月17日神嘗祭御真影へ最敬礼・万歳、教育勅語朗読、
誨告演説、唱歌
911月3日明治天長節御真影へ最敬礼・万歳、教育勅語朗読、
誨告演説、唱歌
1011月23日新嘗祭御真影へ最敬礼・万歳、教育勅語朗読、
誨告演説、唱歌
三大節

これをみると、儀式規程第1条に示された5つの儀式のほかに、いくつかその要素を欠いた5つの儀式があり、ワンパターンではなかったことがわかる。例えば明治天皇・皇后の像を強調する要素である御真影への最敬礼・万歳、及び教育勅語朗読は、先帝以前にちなんだ儀式ではおこなうものとされていない。また、1月1日はその祝日的性格を保持しようとしたためか、あるいは2日後の元始祭と全く同型の儀式をおこなうことを避けたのか、教育勅語朗読と演説が省かれている。このような工夫のようなものが見受けられるものの、儀式規程はその厳粛性がなお強すぎるとみられていたようである。というのも、儀式規程では「第1条の儀式においては、都合により生徒をつれて体操場にのぞみ、あるいは野外に出て、遊戯体操をおこなうなど、生徒の心情を快活にするようつとめなさい」(第4条)などという配慮が含まれ、当局者はその厳粛すぎる運用に自覚的であったと思われるからである。また儀式規程は試行錯誤的な性格もあった。佐藤秀夫氏の研究によれば、これらの祝祭日は頻繁にすぎたため、かえってその期待される効果が退き「疎慢ノ嫌」がでてくるおそれがあるとされ、儀式規程の制定から2年後にははやくもこれが修正され、祝祭日儀式を挙行すべき日を三大節に限定(他は任意で実施)されている(佐藤1963:50)。

儀式規程では「祝日大祭日の儀式に関する次第等は府縣知事之を規定すべし」という条文が設けられ、各地で式次第を作成する任務が負わされることになった。しかしすでにみたように、儀式の骨格はもう儀式規程によって大枠が定まっている。以下に一例をあげるが、その式次第作成作業は各府県ごとに独自の儀式を考案するという性格のものではなく(最敬礼を2段階に設定していること、教育勅語朗読の前にあたる7番目に唱歌斉唱をはさんでいる点に工夫がみられるが、これは儀式規程の趣旨に沿ったものであることに変わりはない)、あくまで儀式規程を教育現場で実現させるための進行要領すなわちマニュアルの形にまで具体化することが各府県で求められた。また、各地の式次第では入念な式場づくりと正装での参加が奨励されるなど、祝祭日儀式の実施日を特別扱いするよう促している。


小学校祝日大祭日儀式の次第等

第1条 紀元節天長節元始祭神嘗祭及新嘗祭の日の儀式の次第左の如し


 学校長教員及生徒着席

 市町村長市町村学事関係吏員及参観人着席

 市町村長学校長教員市町村学事関係吏員順次天皇陛下及皇后陛下の御影に対し奉り最敬礼を行う

 教員生徒に向い「最敬礼」と号令す 生徒一同坐席に在て起立し天皇陛下及皇后陛下の御影に対し奉り最敬礼を行う

 学校長若くは主席教員御影の前に進み出づ(御影を拝戴せざる学校に於ては生徒と方向を仝うして其前に進み出づ)参列者一同起立学校長若くは主席教員「謹て天皇陛下皇后陛下の万歳を祝し奉る」と唱う(二名以上の教員を置く学校に在ては「職員一同に代り謹て天皇陛下皇后陛下ノ万歳を祝し奉る」と唱う)

 学校長若くは首席教員(御影の前を避けて)生徒に面す 生徒総代一名学校長若くは首席教員の前に進み出て「生徒一同に代り謹で天皇陛下皇后陛下の万歳を祝し奉り」と唱う

 学校長教員及生徒当日に相応する唱歌を合唱す

 学校長若くは教員恭しく教育に関する勅語を奉読す

 学校長若くは教員小学校祝日大祭日儀式規程第一条第三款に基き誨告演説をなす

10 学校長教員及生徒当日に相応する唱歌を合唱す

11 市町村長市町村学事関係吏員参観人順次退場

12 学校長教員及生徒順次退場

富山縣令第28号(抜粋)

 このページのまとめ


以上にみたように、学校儀式の中心に皇室文化がすえられ、これを契機に国内に標準化された式次第が漸次確立し実践されていった。ここで重要なのは、皇室文化が学校儀式に組み込まれたことだけではなく、その皇室文化の組み込み方のあまりに硬質なあり方にもあったように思える。日本の学校儀式は厳粛であらねばならない、という規範はこの儀式規程によりかなり強められ、そして今日にも影響を与え続けているようにみえる。


 参考文献


  • 相島亀三郎(1910)『学校儀式要鑑』前川文榮閣。
  • 有本真紀(2017)「学校儀式と身体──教育勅語と唱歌の共存関係を中心に」『教育勅語の教材使用問題に関する研究報告書』日本教育学会教育勅語問題ワーキンググループ。
  • バーンスティン.B(1977=1985)〔萩原元昭編訳〕『教育伝達の社会学──開かれた学校とは』明治図書。
  • 石塚響一著・田村虎藏校閲(1936)『祝日唱歌の歌ひ方並儀式祭祀要義』音樂教育書出版協會。
  • 文部省(1940)『聖訓ノ述義ニ關スル協議會報告』(出版者不明)。
  • 佐藤秀夫(1963)「わが国小学校における祝日大祭日儀式の形成過程」『教育学研究』第30巻第3号。
  • 新村出編(2018)『広辞苑』第七版、岩波書店。
  • ウォーラー.W(1932=1957)〔石山脩平・橋爪貞雄訳〕『学校集団──その構造と指導の生態』明治図書。

To Be Continued...
学校儀礼について②に続きます。
(ただいま作成中です)

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2018年2月12日 記